国家公務員だった父は、定年退職後1年余り経った4月下旬、私や弟妹が、勤務先や学校に出かけた後、突然庭先で倒れその日の夕方には帰らぬ人となってしまいました。高血圧だったので原因は脳出血という本当にあっけない最後でした。 当日広島市内の会社に叔父から私にTELが入り、急いで向原までタクシーを飛ばして帰りましたが、意識は無く、高いびきをかいて寝ている状態でした。 車を降りるのももどかしく、息も切れんばかりに坂道を駆け上る時、辺り一面畑に菜の花が黄色く咲いていたのと、野辺送りの日、ヤマツツジの花がたくさん咲いていたのを今でも鮮明に憶えています。 普段元気だったので、当分は悪夢を見ているようで夕方になると玄関の戸が開くような気がして、淋しかったのを憶えています。 高校時代習った漢詩を度々思い出したものです。 |
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アジサイの花は雨に濡れた時が美しく目に映えるようですが、私には亡き母を思い出す悲しく淋しい花でもあります。 (命日6月中旬) 奈良県出身の母の大好きだった花は、秋の野山に静かにひっそりとこぼれそうに咲く「萩の花」でした。 長年リユマチの病で晩年は手足が不自由になりましたが和裁が上手で初孫(私の長女)に一つ身の着物を縫ってくれました。 30余年近く経った今でも保存している私の宝物です。 小倉百人一首の中で母が一番好きだった歌です。 |